「愛犬を失う」ということ

「愛犬を失う」ということ

4月に愛犬を虹の橋の向こうに送りました。我が子同然の愛犬を白血病と悪性腫瘍で失った我が家でした。最愛の子供を亡くした人ならば同じような思いでしょう。

どんなに頑張っても、どんなに積極的に外出しても、そして海外旅行に出ても、決して愛犬のことを忘れることは出来ませんでした。

お世話になった獣医さんのもとに伺えば、未だに涙、涙です。

ペットロスという言葉は嫌いです。ペットではありませんでした。我が子でしたから。

ある日、友人から突然電話がありました。

「突然なんだけど、シンディー、危ないかもなの。ほんの2日前なんだけど、具合が悪くなってE先生の所に連れて行ったんだけど。肺に水が貯まっているって」

「肺に水?それってもう末期ということ?」

「うん、そうかも」

「判った!出来るだけのことをするしかないね。頑張ってね!」

そんな会話をして、その翌々日でした。

「シンディー逝きました」という電話。

何でなの?まだまだ若いシンディー!

シンディーに最後に会ったのは、6月の初めでした。

わが家の愛犬を失った後でしたが、シンディーは私の心の傷を慰めようと一生懸命にはしゃいでくれたのです。最高に歓迎をしてくれたのです。
その2ヶ月後、なんでジェット機のような速さで逝ってしまうのでしょうか?

シンディーは素晴らしい毛量と美しい均整の取れた身体を持ったゴールデンでした。
まさしくスタンダード、と言えるくらい美しい素晴らしい犬でした。

そしてそのケアは、シンディーままの完璧な手作り食、そしてホメオパシーの知識と、素晴らしい飼い主さんでした。

シンディーが亡くなった日は、8月14日。わが家のトレーシーが亡くなった日は、4月14日。

なんと仲の良いこと!月命日を同じにして逝ったのね。絶対に忘れちゃいけないと言うことよね。

シンディー!!やすらかにね!トレばあちゃんに迎えてもらった?年上を敬うんだよ〜!

愛する子供を失う、その悲しみは図り知れませんが、先日、ある方からいただいた言葉があります。
「愛犬を失って、すぐ次の子を迎える人がいますでしょう?それが良いか悪いかと言うことではないんです。こんな話を聞きました。次の子を育てながら亡くした子を思い出し、亡くした子を慈しめるんですって。そうですよね。どうしてもあの子の時はこうだった、この子は?とその度に思い出すんですよね」

わが家は、愛犬を亡くして既に4ヶ月を過ぎました。もうそろそろ、犬との暮らしを始めないとトレーシーに申し訳ないと思えるようになってきました。(2006/9/1)(LIVING WITH DOGS)

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