コロとの暮らし(1) – コロはJの贈り物
コロとの暮らし(1) – コロはJの贈り物
純血種の先天的な障害は、オーシーの白雪ちゃんでご紹介しておりますが、パグのコロちゃんも先天的な障害を持ちながら、やさしい飼い主さんに出会い、犬として生きることが出来ました。
安易な繁殖の末、このような障害を持つ犬が生まれるのです。そして命を全う出来る犬はとても少ないことを皆さん考えてみましょう。
コロちゃんとの運命的な出会い、そして暮らし、悲しいお別れと、飼い主さんが語って下さいました。
(LIVING WITH DOGS)
運命の出会い
97年5月、私は、ドライブ中、偶然、普段は寄りもしないあるお店に寄りました。生体展示販売のペットショップですが、鳥やウサギなどの小動物のお店、それも卸で一般客は入らないようなお店でした。
倉庫の前に、鳥かごを大きくした様な、ラビットケージよりも小さいかごに動物が入ってました。
「あれ?犬なんていたんだ…」と覗き込むと、その犬は、背を向けたまま顔だけこちらを向き、また後ろ向きになってしまいました。
「愛想の無い子犬だな〜」なんてしばらく見ていたら、少し立ち上がりこちらを向いた途端「あっ、足が…」。その時やっと子パグの前足が奇妙に捻じ曲がっているのに気づきました。後ろ足も、力が入らないようです。
「可哀想に…」、その言葉が届いたのか、子パグは、すべてを諦めたような目で、
「どうせ、可哀想って言うだけでボクを連れて行ってはくれないんでしょ?」
と言う風に、また背を向けました。その目は、今でも脳裏に焼きついてはなれません。
「どうしよう、ごめんね…」
私は1年前に亡くした「J」(ハスキー3才)の事があって、「もう、あんな辛い目に合わせたくない。合いたくない」私は、もう犬を飼う資格なんてないんだと自分自身言い聞かせていました。
「でも、この子はどうなってしまうんだろう?」
とにかく話だけでもとお店に戻り、「この足では売り物にならないから、貰い手を捜していた」と聞いたのです。今日は「J」の命日でもあるし、「J」が私を許し「この子を助けてあげて」と贈ってくれたものだと連れて帰ることにしたのです。
家族にすべてを話し、前足が手術で直るならと病院に連れて行きました。
診断は、思っていたより重症でした。捻じ曲がっていた左前足はくる病から、後ろ足も、膝蓋骨脱臼、股関節脱臼などでした。
20年来の付き合いの先生からは「こんなに重症な犬は珍しい、後ろ足もダメで、今は大丈夫な右前足もそのうちダメになるだろう。手術をしても歩ける確率は低いよ、1回の手術では済まないだろう。寝たきりになるかもしれない。第一パグの生後5ヶ月で1.5kgでは1年も持たないでしょう、返してきた方がいいのでは…?」返すつもりは、もちろんありませんでした。
私は家族の一人でも反対があればあきらめようと思いつつ、家族は「縁があったのだから…。それに返したらどうなるかわからないでしょ?」と承諾してくれました。
そうと決まれば、手術もダメでもともとだから、やれる事はやってあげようと一週間後に予約を入れ、手術してもらう事にしました。
入院中も、コロがまた捨てられたと思わないよう毎日の面会はかかさないようにしました。後ろ足の関節に溝を作りずれないようにする手術でした。
翌日、面会に行ってみると私を見て喜んで立つコロが居ました。立つのもやっとだったのに…。術後でまだ痛い足で懸命に立っていました。
コロは、よほど立てるようになって嬉しかったのか、この手術以後、病院が大好きな子になりました。(ここに来れば何でも治してくれると…)
退院後のコロは、立てる、歩けるという喜びで生き生きしていました。
安静にと言う先生の言葉も無視して?言う事も聞かず、とにかく歩きたい一身だったように思います。徐々に運動量を増やし、休み休みですが散歩にも行ける様になったのです。
歩く事によって食欲も出、体重もどんどん増えていきました。
奇跡的な回復に先生方も驚き、前足の手術の件も反対しつつ、やはり数パーセントの低確率でいいのであれば…と承諾してくださいました。
この手術は、前足にプレートを入れまっすぐにするというものですが、あまりに捻じ曲がりがひどく結局プレートは断念し靱帯を切り、捻じ曲がった足を緩めると言う手術になりました。結局、捻じ曲がった前足は少し真っ直ぐにはなったものの、地に付くことはありませんでした。それでも、私は満足でした。
妹プリンとの出会い
(2001/06/20)(新潟県・M.Yさん おしゃべりパークウ)